赤岳~お鉢平~黒岳縦走 (2012年7月14-15日)

銀泉台→赤岳→緑岳→白雲岳避難小屋→お鉢平→北鎮岳→黒岳→層雲峡

7月中旬、子供たちが帯広のキャンプ行事で不在になる機会に合わせて、大雪山登山を計画した。7月の大雪山はこれまでも何度か試みたけれど仕事の都合や天候のために一度も達成したことがなかった。今回も一週間ずっと雨が降っていて、週末の天気予報はどんどん変動する不安定な天気であった。
そんな中、7月13日の金曜日に仕事を終えて、まっすぐに層雲峡に向かった。札幌から高速に乗って比布JCTから上川層雲峡ICに向かう。本当に便利な道路ができたものである。

20時過ぎに層雲峡YHに到着、3連休ということもあり相当混んでいるだろうなぁと思ったら予想に反してガラガラ状態であった。食堂で、買ってきたビールを堪能しているとライダーのオジサンと、緑のTシャツのオジサンに話しかけられた。ライダーオジサンは毎週のようにバイクでキャンプをしているのだという。緑のオジサンは明日白雲岳避難小屋に泊まると言っていた。僕はテント泊だが行程は一緒だ。

【銀泉台へ】

翌朝6時に、層雲峡YHの前から銀泉台行きのバスに乗った。昨日の緑のオジサンは、カラフルなオジサンに変身していた。

銀泉台に到着しいよいよ登山開始だ。
ここまで来るともう僕のsoftbankのiPhoneは圏外になってしまった。層雲峡で天気予報をチェックしたら晴れの予報となっていたはずだが、写真の通り登山口では濃い霧がかかっていた。

【花の赤岳】

銀泉台はすでに標高が1,500メートルの場所にあるため羊蹄山でいうと7合目くらいに相当する。論より証拠、歩き始めてものの10分でゴゼンタチバナ、ヨツバシオガマの花が目を和ませてくれた。

ぐいぐいと高度を上げても辺りの霧は晴れることがなかった。しかし展望はなかったにも関わらず、登山道脇にはいたるところに花が咲き乱れていてまったく飽きることがなかった。
第二花園を過ぎて雪渓を登る。

銀泉台付近でもエゾコザクラは咲いていたけれど、写真を撮っていたら登山者のおばさんが「上はもっといいですよ。」と教えてくれた。まさにその通り、第二花園でのエゾコザクラはかわいらしかった。

奥の平を過ぎてさらに登ってゆくと、コマクサ平という場所に出る。未だに天気はガスがかかった状態が続いていた。看板を見ると標高1,842メートルと書いてある。GPSを見ると標高は1,837メートルをさしていたから誤差は5メートル。ここでGPSの高度をキャリブレーションしようと思ったがやめておいた。というか、キャリブレーションのやり方を忘れていたに過ぎない(笑)。

コマクサ平の花畑はそれは見事だった。タルマイソウも満開になっていた。

待っていた高山植物の女王コマクサ。実を言うと野生のコマクサを見たのはこれが初めてだった。だからこそこの季節に、名にし負うコマクサ平でその花を見たかった。これまでは札幌市の百合が原公園にあるロックガーデンで6月に見たことがあっただけだったから。

【コマクサ平をすぎて】

コマクサ平を過ぎると、また傾斜が急になる。しかし、赤岳は登り約3時間とはいえ実に登りやすい山だなと感じる。要所要所に平坦な場所があり花も咲き乱れているから無理なく休息をとることが可能なのだ。
エゾノツガザクラも咲いていた。

こちらはアオノツガザクラ。今回は荷物軽量化のためマクロレンズはシグマ製の50mmを持ち歩いていた。このレンズはあまり絞りすぎるとボケがうるさいが(リングボケみたいになる印象)、開放近くで撮ると実にすばらしい描写をしてくれる。一般的には絞らないとカッチリした描写にならないのが普通だから、この特徴は開放が好きな僕にとって実に好都合と言える。EOS 5D mark2のAIサーボ機能にも充分ついてきてくれるので三脚がなくてもいい写真を撮影可能にしてくれるのだ。

山頂に向けて登りを続けていると、頭上の雲がうっすらと消えて青空が見えかけているのがわかった。天候の回復なのか、それとも自分が雲の上に出ただけなのか。登ってきた方角はまだガスで覆われていた。

チングルマの群落に見とれていると、一人の若い山ガールが山頂から降りてきた。随分早いなぁと思ったら朝早くに登り始めてもう下山するのだという。

ほどなくして赤岳の山頂に到着した。昨年同じ場所に来たときは吹雪いていて到底写真など撮れる状況ではなかったが今回は一瞬だけ見えた青空をバックにポーズを決めて撮ってみた(笑)。しかし空はすぐに陰ってしまい、霧の流れが早く、すぐ目の前にあるはずの白雲岳すら確認することはできなかった。

【白雲岳テント場へ】

しばらく休憩をとった後、白雲岳テント場に向けて歩を進めた。ここからテント場への登山道は2つある。ひとつは白雲分岐から下る道、もう一つは小泉岳経由で緑岳方面に下る行程だ。登山者の多くは前者を利用することが多いと思われる。白雲分岐にザックをデポして白雲岳を往復してから避難小屋に下る人が多いためだろう。

しかし、小泉岳に向かう道は花が多いことで有名だから、こちらの道を歩くことにした。緑岳を往復してテント場に下ろう。稜線にはキバナシオガマ、ホソバノイワベンケイなどが咲いていた。ホソバノウルップソウは既に花期を過ぎた感、チョウノスケソウは見つけられなかった。
緑岳に向かってコルに下っていくと、辺りは急に風が強くなり、雨交じりの濃霧に覆われた。GPSを確認しながらテント場への分岐を探したが、10分もしないうちに数メートル先も見えないホワイトアウトになってしまった。それからさらに10分ほど歩いたのち僕はついにへなへなと座り込んでしまった。辺りには誰もいない。このときの恐怖感は並大抵のものではなかった。そしてちょうど3年前のトムラウシでの遭難事故を想像した。もし体力の落ちている状況下の山奥深くでこのような天候の変化に出くわしたら、まず生きては帰れないだろう。僕はザックをおろすとレインカバーを取り出してザックにかぶせ雨具を着込み、もと来た道を引き返すことにしたのだ。

ほうほうの体で小泉分岐まで戻って休息をとり、緑岳方面を振り返るとそこはまだ深い霧に覆われていた。そして白雲分岐方面も同様だった。僕はしばらくそこにとどまった。しばらくしてから斜面を下り、避難小屋に近づくとその頃には天候も徐々に回復し風も弱まってきた。
登山道の両脇にはチシマノキンバイソウが風に揺れていた。

避難小屋の近くに咲いていたエゾノハクサンイチゲ。
開きかけた白い花弁がその美しさをひときわ引き立てていた。このような慎ましやかな花を見ると、理由はわからないが、いつも僕の頭に島崎藤村の「初恋」の一節が思い出されてしまう。

まだあげ初めし前髪の
林檎のもとに見えしとき
前にさしたる花櫛の
花ある君と思ひけり・・・。

テント場に到着したのは13時ごろだったと思う。すでに多数のテントが張られていたが、僕はその中で水はけのよさそうな場所にテントを設置した。
テントを設置して僕は大きな安堵のため息をついた。持参した水はほとんどなくなっていたので、50メートルほど離れた水場に水を汲みに行った。ここの雪解け水の冷たさは異常ともいえるほどだ。
水を汲み終わりテントに戻って一息ついたとき、僕はある異変に気がついた。
ザックに差していた三脚の脚の一部がなくなっていたのである。おそらくネジが充分に締まっていなかったに違いない。先ほどの緑岳への濃霧の稜線で落としてしまった可能性が高かった。この三脚は登山のときにはいつも持ち歩いていたものだっただけに僕の落胆は相当なものだった。

【緑岳の絶景】

失意のうちにテントで横になっていると周囲から歓声が聞こえた。何事かと僕はテントの外にでた。南の空に、これまで霧に覆われていたトムラウシの一部が顔を出していたのだ。そしてこれがこの後の好天のサインだったのである。

時刻はまだ14時前。僕はこれからの天気に期待して三脚の脚を探しつつ、元来た道をゆっくりと戻ってみることにした。重いザックがなければテント場から白雲分岐まではそれほどハードな行程ではない。そして先ほどは濃霧と強風でたどり着けなかった緑岳を巡ってみようと思ったのである。
僕が出発の準備を整えていると隣でテントを設営していたオジサンが、「今から行くのかい?」と笑ってい た。

白雲分岐付近からは表大雪の山々をくっきりと見ることができた。

小泉分岐から緑岳方面に向かうと、先ほどは濃霧と強風で全く見ることのできなかった絶景が広がっていた。眼前には緑岳へ続く稜線とはるか遠方にトムラウシの姿があった!
つい数時間前には死ぬほどの恐怖を味わった場所だというのに今はこうして絶景を目の前にしている。本当に山の魅力と恐怖は紙一重なのだなと思った。

緑岳へ向かうコルより。
なだらかに見える緑岳の東側は急峻な絶壁となっていた。大きく残った雪渓がそのスケールを物語る。

緑岳とトムラウシのツーショット。

緑岳山頂よりトムラウシと高根ヶ原を望む。

山頂でしばらくくつろいだあと、コルへと下り板垣新道を通ってテント場へと戻る。テント場までは一旦大きく下った後で雪渓を歩く必要がある。雪渓といってもこの時期のものは固くなっていて歩行には困らない。

板垣新道からいま来た緑岳の方角を振り返る。残雪に描かれた風紋を入れて撮影してみた。結局三脚の脚は見つけることができなかった。あの三脚はイタリア製で今はもう絶版になっているのだ。結局、札幌に戻ってからヨドバシカメラに直行したら、日本には部品がなく取り寄せに3ヶ月かかると言われてしまった…。

避難小屋に戻ると多くの人が小屋の前に立っていてトムラウシから高根ヶ原の風景を見渡していた。

テント場にはさらにテントの数が増えていた。僕のテントの横には山岳ガイドに率いられた本州からのツアー客が大勢で食事を摂っていた。どうやら明日以降はトムラウシ方面を目指すらしい。僕も早々に食事を摂りテントの中を片付けた。

大分日が西に傾いてくると、テント場からは、白雲岳の影を映すオレンジ色の緑岳が見えた。

この時期の夕日は白雲岳の陰に沈んでしまうので直接夕日を見ることはできないが、南西の方角には夕日に染まる雲海、そしてはるか彼方に浮かぶ山が雲の海を泳ぐクジラのように見えていた。

後日、カシミール3Dというソフトを用いて、白雲岳避難小屋から見える山々をCG構成してみた。当初半径100kmの範囲でレンダリングしてみたがうまくいかなかった。もしやと思い、半径を200kmにあげて描画してみたら、やっと山を確認することが出来た。その結果、クジラの頭は芦別岳であった。そしてさらにこの日、大雪山からは遠く恵庭岳まで見えていたことがわかった。この事実にはさすがに度肝を抜かれた。と同時に、カシミール3Dのすごさを再確認した。
(画像をクリックすると実際の写真と対比した拡大画像を表示します。)

日が暮れたあとの緑岳にはポッカリとピンク色の夕雲が浮かんでいた。

【星降る夜に】

日が沈んだあとで、避難小屋からテント場を見ると、残照の空の下で光が灯った色とりどりのテントが美しかった。ライトを片手にあるく人の光がまるでお化け屋敷のヒトダマみたいだ。

頭にヘッドランプをつけてテントにもぐり込んだ。僕のテントは1-2人用だから決して広々としているとは言えない。でも荷物を置いても十分に横になるスペースがある。まさに自分だけの城だ。一方この日、避難小屋には収容人数を超える50人以上の人が宿泊したようだ。そんなところではおそらく一人分の寝場所を確保するのさえ、困難だったことだろう。こんな時、やっぱりテントは最高だなと思ったのだった。

テントの中を整理し終えると、僕はまた外に出た。周りはすっかり暗くなっていて、他人のイビキも聞こえていた。そして空は…満天の星だった。南の方角には射手座に端を発する天の川が立ち上っていた。三脚の脚が一本ないのが悔やまれたが、短くなった脚に軍手をはめて、岩場に固定すれば充分使える。構図を決めてシャッターを切った時、さそり座のアンタレスの横を流れ星が落ちて行った。

そして、頭上には避難小屋に架かる天の川が壮大な夏のドラマを繰り広げていた。まさに、空から降ってきそうな程のスケールだった。

【大雪山の夜明け】

翌朝の日の出時刻は午前4時。僕は2時半すぎにテントをでた。もちろんご来光を見るためだ。今回は緑岳に決めていた。白雲岳は昨年9月にご来光を見た事があったのと、今回は朝日に輝く旭岳と白雲岳を見たいと思ったからだ。あたりはまだ真っ暗だったが、尾根の向こう側の東の空はうっすら明るくなっていた。そして、日齢25の残月と木星、明けの明星が煌々と輝いていた。
ライトとGPSを頼りに板垣新道を登った。この道は昨日も通ったのでGPSに軌跡が残っており迷う心配はなかった。しかし、足元は不安定で注意を要した。途中で草むらの奥に動く影があった。もしやヒグマだろうか…?と僕は警戒したが、何の事はない、自分の照らしたライトがハイマツに当たって影が動いただけであった。
前方を見ると、東の方は少しずつ明るくなってきている。稜線に出れば地平線が見えるはずだ。果たしてそこに待っているのは、山々のシルエットか、それとも…。
坂道を登り切ったとき、東の空を見て僕は叫んだ。
「…雲海だ!」


ここまでくれば、後は眺めのよい尾根歩きで緑岳山頂に着く。右側を見ると、先ほどまで眠りに着いていたテント場が見えた。あんなにたくさんの人が泊まっているというのに、僕の後に登ってくる人は誰もいなかった。 目の前の絶景を目にして僕は少し優越感に浸った。山頂の標識を前にポーズを決めてセルフタイマーで撮影してみた(笑)。

ご来光の瞬間、武利岳の方角から太陽が姿を現した!言葉はいらない。ただただ赤い、壮大な大雪山に昇る朝日だ。

眼下には柔らかな太陽の光を浴びて、雲海が流れていた。

【朝日に染まる】

南の方角には、高根ヶ原から続く雪の残った大きな斜面、そして朝日に染まったモルゲンローテのトムラウシが威風堂々と姿を見せていた。これだ。まさに僕が夢に描いた景色が目の前にあった。

そこから見た旭岳もまた、美しかった。

旭岳と白雲岳。
日の出から、30分程経ってそろそろ戻ろうと考えていた時、下から一人の男性がカメラを持って息を切らしながら登ってきた。おそらく寝坊したのであろう。かわいそうにクライマックスはとっくに過ぎてしまっていた。僕はその人に心から同情した。

【テント場をあとに】

5時過ぎにテント場に戻るとほとんどの人が出発の準備を整えていた。僕がザックを担いでテントに戻ると、ツアー客の女性から、どこに行ってきたんですか?と聞かれた。緑岳でご来光を見てきましたと伝えると、そんな方法があったんだぁ、と目を丸くしていた。
それからテントをたたんで6時丁度にテント場をでた。本当は今日さらに一泊して、忠別岳まで往復しようと思っていたのだが、明日以降天気が崩れるとの予報を聞いて、下山する事にしたのだった。お鉢平を反時計回りに周回して層雲峡に降りる道のりだ。

白雲分岐まで昇る途中で後ろを振り返ると、赤い壁の避難小屋の背後に、トムラウシとそれに連なる十勝岳連邦がくっきりと見えた。素晴らしい景色をありがとう。

白雲分岐には数人の登山者が休んでいた。後ろからツアー客が押し寄せてきたので早々にお鉢平方面に下る事にした。

白雲分岐の北斜面に回り込むとまだ大きな雪渓が残っていた。

咲いていたヨツバシオガマの花。

真上から見ると、こんな感じ。面白い形をした花だ。

【お鉢平周遊】

北海岳に向かって登る途中で、チングルマの花畑の向こうにトムラウシの姿が見えた。

北海岳に到着すると一気にお鉢平の展望が広がる。対岸にはこれから目指す北鎮岳である。

間宮岳に向かう途中で前方を見るとゼブラ模様のお鉢平、奥には大雪山の主峰旭岳が鎮座していた。

左前方に十勝岳連峰を認めた。写真中央の三角形の山が十勝岳、その奥には富良野岳、そして左側の尖った山はオプタテシケだろう。

間宮岳分岐を過ぎて中岳方面に進んでいくと、背後には熊ヶ岳にかかる筋雲とゼブラ模様の残雪が対比をなしているように見えた。

【北鎮岳登頂】

このあたりまで来たとき、僕の疲れはピークに達していた。それもそのはずだ、昨日は夜もあまり寝ないで未明からご来光登山、日帰り装備ならいざ知らず、20kg以上のザックを背負っての長時間歩行は脚にこたえた。長く感じられた中岳からの登りの途中で上を見上げると右側に北鎮分岐、そして左側に北鎮岳のピークが見えた。空には変な形をした雲が北鎮岳をアピールしていた。

分岐にザックをデポし北鎮岳への登り。ザックがないとこんなに楽だとは思わなかった。まるで背に羽が生えたようだとはこのことである。約20分ほどで北鎮岳山頂に立った!

不思議なことにこの時間帯だけ北鎮岳山頂には誰もいなかった。つまり僕一人だったのだ。
そのおかげで僕はお鉢平と北大雪の展望を独り占めすることができた。ご存知の通り、北鎮岳は北海道で2番目に高い山である(主峰は旭岳)。北鎮岳から旭岳山頂を望遠レンズで撮影しさらにパソコンで拡大すると、旭岳山頂には25人ほどいるようだ。つまり僕はこの瞬間、北海道で26番目に高い場所にいたことになる。
(ただし旭岳山頂に向かって登っている人を除く(笑))

北鎮岳の裏側にはシャープな山容を呈した愛別岳があった。稜線をたどればあの山にも登れるはずだがかなり険しそうだ。僕の後から登ってきた男性はラジオを鳴らしつつ、一人で愛別岳方面へと歩いていった。

【そして下山】

北鎮分岐に戻ってザックを背負うと、その重さがなお一層重く感じられた。分岐から東側にはかなり急な大きな雪渓が残っており、地面の赤土のために登山者による赤い道が形成されていた。この雪渓のことは事前の情報で知っていたため僕は軽アイゼンを持参していた。しかしそれほど大変な道ではなかったし何よりも軽アイゼンをザックから取り出す作業が面倒だった。結果的にせっかく持ってきた軽アイゼンは使うことがなかった。

雪渓を越えて後ろを振り返ると、反対側から見たのとは正反対になだらかに見える北鎮岳。

黒岳山頂についたとき、時刻は正午近くになっていた。ここから岩だらけの登山道を1時間ほどくだってリフト、ロープウェイに乗り層雲峡に帰還したのだった。

層雲峡から下山してすぐ、糠平を抜けて帯広にいる家族と合流した。子供たちもキャンプをすこぶる楽しんだ様子だった。回転寿司で味わったビールが格別だったのはいうまでもない(笑)。

【後日談】

今回紛失したジッツォのカーボン三脚(GT1541T)の足部分。
イタリアから部品取り寄せと言われて待つこと2ヶ月半、10月1日にやっと部品が届いた(^^)。
やっぱこの三脚最高だ。
失って初めてわかる身近なモノの大切さよ。

(赤岳〜お鉢平〜黒岳縦走 2012年7月14-15日)
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